「人の真似はするな」オシムさんから学んだ監督としての使命 間瀬秀一 × 佐藤勇人

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2025/07/02 12:11

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通訳から監督へ、様々なカテゴリーを経験し、遠くモンゴルでも代表の指揮を執った独自のキャリアを重ねてきたヴィアティン三重の監督、間瀬秀一さん。オシムさんからもらった「真似はするな」ということばを胸に刻んで歩んできました。佐藤勇人さんと日本サッカーの未来を語りました。

 

 

【オシムさんがいたから監督に】

 

佐藤勇人)

なんで指導者になろうと思ったんですか。

 

間瀬秀一)

オシムさんの通訳をしたから、監督をしたいと思うようになったよ。

 

勇人)

やっぱり。

 

間瀬)

まず、クロアチアで選手をしていた時、いちばんいい状態の時にやめたんだ。

 

2部リーグでプレーさせてもらって、最後の試合もキャプテンマーク巻かせてもらって、連続ゴールも決めていた。

 

それでやめて語学学校に通っていたら、オシムさんの通訳になる機会をもらって、むちゃくちゃ人生を考えさせられた。

 

中間順位にいたジェフにオシムさんが来たことで選手が躍動して、サポーターが喜んで、観客がたくさん入って、関わる人全員が成長して幸せになった。

 

(監督は)素晴らしい職業だと思ったよ。

 

 

間瀬 秀一さん

JFL ヴィアティン三重 監督。選手としてアメリカやクロアチアでプレー。2003~2006年、ジェフユナイテッド市原(現 市原・千葉)でイビチャ・オシムさんの通訳を担当。その後、Jリーグのチームでのコーチや監督のほか、モンゴル代表の監督も経験。

 

勇人)

ほんと、そうですよね。

 

今、監督をしていて、ふと「オシムさんならこういう時どうしたかな?」って考えたりしませんか。

 

間瀬)

正直にいうと、考えたことはない。

 

「オシムさんなら?」というよりも、「オシムさんの隣にいて監督を学んだのだからから」俺はここう考えるというイメージかな。

 

 

【真似はするな】

 

間瀬)

大事なのは、オシムさんは俺らにオシムさんのように振る舞うことは求めていないんだよ。

 

一人ひとりの可能性を開花させてほしいと思っているはず。

 

間接的になんだけど、オシムさんから言われて大事にしていることがあって、ジェフがJ2に降格した年かな。

 

勇人)

2009年ですね。

 

間瀬)

降格した時オシムさんはヨーロッパにいたけど、人づてに俺に伝言をくれた。

 

1つ目は、「なぜジェフが降格したかお前の中で答えを出せ」。

 

2つ目は、「とにかく色んな国、色んな種類、色んなサッカーを見ておけ」。

 

3つ目が、「人の真似はするな」。

 

勇人)

なるほど。

 

間瀬)

この中でも、やっぱり「真似はするな」が大事だよね。

 

人がやったことを参考にするのはいいけど、真似はしない。

 

つまり、「新しいことを生み出せ」ということだと思う。

 

誰かの真似ではない、オリジナリティや新しい考え方を生み出していくことが大事。

 

 

勇人)

そんな伝言があったんですね。

 

そんなに自分から喋る人じゃないけど、言葉をくれることありますよね。

 

ぼくも同じ2009年、その時は京都サンガF.C.に所属していたんですけど、ジェフがJ2に落ちて思うところがあって。

 

そのころにオシムさんが治療か何かで日本に来たので、時間をもらって浦安の行きつけの中国料理屋さんで食事させてもらって。

 

間瀬)

うん。

 

勇人)

会いたかった理由を伝えたら、「勇人が好きなところでプレーするべきだ」って言われて。

 

それで、お金やカテゴリーも関係なく、J2のジェフでやるって決めたんですよね。(※2010年のシーズンからジェフに復帰)

 

間瀬)

そんなことがあったんだね。

 

勇人)

オシムさんはストレートには言わないじゃないですか。

 

「ジェフでやるべき」とか、「お金とかカテゴリーはどうでもいい」とは言わない。

 

ちょっとしたアドバイスをくれて、あとは自分で考えて決断は自分でしなさいよと導いてくれる。

 

本当にありがたかった。

 

 

間瀬)

ほんとだな。

 

勇人)

秀さんはこの先も指導者でいくんですか。

 

間瀬)

サッカーの指導者はみんなが通る道かもしれないんだけど。

 

4年くらい前までは、残りの人生をサッカーに使っていいのか、サッカーじゃないほうが豊かになるのかとか考えた。

 

1つ試合に負けると理性を失いそうなくらい悔しいしさ。

 

勇人)

なるほど。

 

間瀬)

ただ、ありがたいことに毎年違うカテゴリーでサッカーの仕事をさせてもらっていて、J2やJ3、地域リーグのワイヴァンではトップチームだけでなく、女子や小中高生に幼児の指導も関わらせてもらったし、モンゴル代表の監督もやらせてもらった。

 

今は指導者として、今世の俺の使命はサッカーだと決断ができた。

 

 

ちょうど節目の50歳なんだけど、70歳まであと20年間は最前線でプロの指導者としてやる決断をしてるんだ。

 

そのために頭と体をメンテナンスして、指導者として人間としてアップデートしていかないといけないなって思ってる。

 

勇人)

いろんなカテゴリーを指導して、日本人のサッカーもっとやれるんだと感じたからこそ、この先も指導者で生きていこうと思えたんですね。

 

 

【日本サッカーの日本化とは】

 

勇人)

僕らのこのJAPANIZE FOOTBALLでは、色んな選手やスタッフ、ファン、サポーターも巻き込んで、「日本サッカーの日本化」を追求したいと思っています。

 

間瀬)

そもそも、サッカーのルーツって日本じゃないじゃん。

 

でも日本には日本の歴史があって、オシムさんの言い方をすれば、そこも「真似するな」だと思うな。

 

日本は日本のサッカーを確立する。

 

じゃあ、オシムさんも亡くなられた今どうすればいいかというと、「日本のサッカー」のための能力を上げられるトレーニングとかを俺たちが作っていきたいな。

 

勇人)

そうですよね。

 

間瀬)

オシムさんが俺たちに遺してくれたのは、「日本でできるんだ」ということだと思う。

 

いちばんオシムさんの隣にいた人間としてその使命を果たさないといけないな。

 

近くにいた俺たちができるよって。

 

勇人)

やりましょう。

 

最後に秀さんならではの、「日本サッカーの日本化とは」を色紙にお願いします。

 

 

勇人)

「らしさ」・・・どういうことですか?

 

間瀬)

オシムさんってどういう人かというと、向き合う人にむちゃくちゃ愛情を与えてくれた人だよね。

 

そういう意味では、何をいちばん大事にするべきかというと1人1人の幸せだと思う。

 

選手だろうが、指導者だろうが、サポーターだろうが。

 

自分らしさ、日本らしさ、俺が率いるヴィアティンらしさ。

 

まず「らしさ」を知っていないといけないんじゃないかな。

 

勇人)

自分自身を知る、周りを知る、選手たちを知ることも大事。

 

ありのままでいいということですよね。

 

 

間瀬さんと勇人さんを中心に、JAPANIZE FOOTBALLではこれから独自のサッカーメソッドを開発しています。「日本サッカーの日本化」の実現に向けた練習プログラムをつくり、子どもたちや指導者を対象にサッカークリニックも開催していきます。

 

間瀬さん・勇人さん 独自の練習法を開発中

 

間瀬さんがオシムさんへの想いを語った 対談 【前編】

間瀬さんと開発したサッカーメソッド 「攻撃の6起点」

 

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