
「オシムさんが日本を愛したように」GM水野晃樹が岩手から始める挑戦
2024年にキャリアを終えた水野晃樹さんは、引退後すぐにいわてグルージャ盛岡のGMに就任しました。「オシムさんが日本を愛したように、もっと盛岡を愛さなきゃいけない」という思いで、新たなキャリアにチャレンジしています。ともにJFLの舞台で戦った間瀬秀一さんが聞きました。
【オシム監督に出会えなければキャリアはなかった】
間瀬)
晃樹って10クラブで選手としてプレーして、2024年に引退したんだよな。
すごいキャリアだよね。
ただ、晃樹はオシムさんのもとにいた時が一番力を発揮できたんじゃないかって、周りからも言われるんだ。
水野)
それはよく言われていますね。俺自身も思います。

水野晃樹さん
JFLいわてグルージャ盛岡 強化部長。2004年ジェフユナイテッド市原(現 市原・千葉)でプロデビューし、オシム監督に見いだされ活躍。海外でもプレーした後、日本に復帰し、計10チーム・21年間プレーして2024年に引退。グルージャのGM職で第二のキャリアを踏み出す。
間瀬)
それって、キャリアの中でどう感じていたのかな。
水野)
そうですね、オシムさんは、晃樹は攻撃に集中したらいいみたいに言ってくれていたんですよ。
周りの選手もそれを理解してくれて、別に晃樹に得意ではない守備のところを求めてないと。
その代わり、攻撃で1試合10本必ずクロスを上げるとか、そういうところでお前はチームに貢献すればいいって、周りのサポートがすごくありました。
間瀬)
そうだったな。
水野)
俺が前に上がって守備に帰れませんってなったら、ボランチの坂本選手がずれたりとか、 3バックの(水本)裕貴がずれたりとかやってくれていたから生きていました。
ただ、そのあとのキャリアでオシムさんのころと比較をしてしまうところが自分の中であって、「自分ができるプレーはこれだから、これを生かしてやりたい」って思ってしまった。
監督や戦術に合わせていかなければいけなかったのに、「このプレーをやらなかったら俺が出る意味ないじゃん」みたいな考え方を持ってしまったところがあったんです。
そのあたりの柔軟性が足りなかったなって思います。
間瀬)
そうか。
適材適所というかその人の本質的な良さを最大限に生かすっていうのが、オシムさんのやり方だったよな。
水野)
まさに、オシムさんは選手の特徴を最大限に引き出すっていうのがすごくうまくて、型にはめないじゃないですか。
選手ができることを生かしていこうっていう考え方で、そういう考え方の監督って今まで出会った中でも本当に少ないと思います。
おかげで選手が自信を持って試合に出られていたんですよね。
間瀬)
うんうん、なるほどな。
たとえ話なんだけど、ふつうの監督が誰が出ても強いチーム作ろうとしたら、やっぱりチェーン店みたいに、システムを作ってから指導しがちになるんだよ。
チェーン店で誰が調理しても何分後には商品が出来上がるように、誰が関わってもある程度のところまではチームの強さを出せるってやりがちなんだよ。
だけどオシムさんってその真逆だよね。

一人一人の選手がどんなタイプで、どう掛け合わせたら何ができるかっていうことを考えていた。
だから、晃樹の能力だけじゃなくて、性格やキャラクターまで考えて伝えていたんだろうなと思う。
水野)
そうだと思います。
オシムさん、俺の負けず嫌いな性格も見抜いていたんだと思うし、言い方悪いですけどうまく転がされたんじゃないかなって思います。
自分が39歳まで選手でいられたのはオシムさんとの出会いがあったからこそだし、そもそもオシムさんとの出会いがなければ、高卒1年2年で終わっていたキャリアだったろうって想像ができます。
だからオシムさんとの出会いって、サッカー人生の中のすべてと言っても過言ではないです。
間瀬)
すごいよな。なぜかオシムさんに感化された人間って本当にそう思うよな。
きっとサッカーだけじゃなくて人生通して影響を受けているだろうって思う。
水野)
そう思いますね。
【現役引退、即GM就任というチャレンジ】
間瀬)
晃樹は現役引退して直接GMという立場になったけど。(2026年8月現在:強化部長)
その決断をした理由とか、やりがいみたいなことはどう感じている?
水野)
もともと次の年も選手兼コーチみたいな話があった中で、夏過ぎくらいにGMの話をもらって。
その瞬間に自分の中では7~8割方チャレンジしたいって思ったんです。
人生かけてサッカーしてきたから続けたいって気持ちもあったけど、経営者側に回っていろんなものを吸収できると思ったし。
それこそ、引退後すぐにGM業につけるっていう話なんてまずないことですし。
間瀬)
そうだよな。
水野)
それこそオシムさんに言われた「1対1になったら全部チャレンジしろ」って言葉を大事にした中で、チャレンジしたくなるような話をもらえて。
その時、1週間ぐらい考えていいですかって言ったら、「明日までに決めてくれ」ってオーナーに言われて、うわっ明日かと思って、電話切った瞬間にお世話になった方々に連絡しまくってどうですかねって話したら、GMやったほうがいいってほぼ100%でしたね。
後押ししてもらったから、じゃあもう引退してGMやろうって。
でも実際、仕事量というか仕事の数的にもう思っていた以上にめちゃくちゃ忙しくて。
間瀬)
大変だよな。
水野)
ゼロからのスタートだから分からない部分もたくさんあるんですけど、選手のスカウティングでいえば、それこそオシムさんの考え方じゃないけど、平均的な選手より特徴ある選手に魅力を感じますし。
今までのサッカー観だったり、オシムさんとの出会いも活かして、やっていきたいなって思います。
間瀬)
晃樹とはJFLでヴィアティン三重の監督といわてグルージャ盛岡のGMという立場で対戦させてもらったね。(間瀬さんは2025年シーズン途中で退任)
昔ジェフで通訳・コーチと選手という立場で関わった晃樹と、立場が変わって対戦できたのは俺なりにストーリーを感じてしまった。
【まず 岩手を盛り上げたい】
間瀬)
JAPANIZE FOOTBALLで、オシムさんが遺した言葉「日本サッカーの日本化」のヒントを探求しているんだけど、晃樹の立場で今意識していることってあるかな。
水野)
「日本」っていう大きな単位にしちゃうと、俺はそんな言えることはないと思うけど。
ただ今、盛岡っていう地でサッカーに関わる中で、まだサッカー、グルージャ自体が認知されていない。集客もまだまだ。
オシムさんが日本を愛したように、俺ももっと盛岡を愛さなきゃいけないし、クラブとしても、もっと盛岡、岩手のためにってやらないといけないって思っています。

地域に根付いて愛されるクラブにすること、協賛してくれるスポンサーさんのお手伝いをすることでWin-Winの関係を築いていくだったり、自分がやっていかないといけない。
間瀬)
どんな活動をしているの?
水野)
例えば、岩手県内にラグビーとバスケとサッカーのチームがあるから合同でもっと岩手を盛り上げようと、「SGBプロジェクト」っていうのを始めました。(ラグビー:日本製鉄釜石シーウェイブス、バスケ:岩手ビッグブルズ)
スポーツって本当に素晴らしくて、子供からお年寄りまで夢や希望を持たせることができるものじゃないですか。
自分も小学校2年生の時にJリーグができて、そこを目指して、プロになった。
そういうふうに夢や希望を与える、 地域を盛り上げるっていうことは、みんながみんなできるわけでもなくて、自分ができる側の立場である以上は、全力で取り組んでいかなきゃいけないって思っています。
岩手で最大限努力して盛り上げたいし、それが日本のためになるかもしれないし、 Jリーグのためにサッカー界のためになるかもしれない。
今、その土台作りをやっているところなんで、岩手らしさ、東北らしさの強みを活かしながら盛り上げていきたいと思っています。
間瀬)
素晴らしいね。
それこそオシムさんが市原や千葉に対してやったことだよな。
中間順位で喜んでいたクラブを戦えるようにして、選手やスタッフ、社員が幸せになって、千葉県民がナビスコ杯優勝して喜べるようになってさ。
現場の勝ち負けだけじゃなくて、人の幸せを考えていたオシムさんの薫陶を受けた晃樹が、今度はGM職になって同じように考えて行動しているっていうのが素晴らしいよね。
水野)
やっぱり周りの環境のおかげだと思っています。
オシムさん含め、今までサッカーやってきた中で、 本当に影響力のある方々に恵まれたんだって思います。
