「自ら考え、責任を持つ」オシムさんについて伝えたいこと―佐藤勇人
かつては「なんとなくサッカーをしていた」という佐藤勇人さん。ジェフユナイテッド市原でオシムさんと出会い、変化が起きました。「何のためにピッチに立っているのか。自分の人生に向き合うようになった」。佐藤さんが今伝えたいオシムさんのこと。
日本サッカーの未来を考えるプロジェクト。走り始めたメンバーに聞く「日本化」のカギ、オシムさんから引き継ぐ思い。第1回は発起人の佐藤勇人さん(ジェフユナイテッド市原・千葉 CUO)に聞きました。
【リスクを冒してチャンレンジしなさい】
―オシムさんと出会った時、最初はどんな印象でしたか。
初めてキャンプで会った時、笑わない人だなと。目力は強いし体は大きいし、楽しみよりもこの人は何を求めるだろうという不安のほうが大きかったですね。
―印象に残っているエピソードはありますか。
有名なビブスをたくさん使った練習とか、今まで経験したことがない練習がすごく多くて。(当初は)コーチングスタッフも練習内容を知らされていなくて、ピッチの中がカオスになっていましたね。
練習中も走ることを求められるし、水を飲むのも走って行けといわれるし、コーチングスタッフも走ってマーカーを置くし、マネージャーも走って水を運ぶ。みんなが慌ただしくピッチの上を走っている感じでした。
―特徴的な練習はジェフだけでなく、代表でも同じでしたよね。
代表選手にとっても訳が分からないから「これどういう意味?」と、ジェフの選手はみんなから聞かれましたね。自分たちも分かっていることは「これを求めていると思う」と伝えることができましたが、正直自分たちも分からないことがあるので、その時は「分かりません」と。
―そういったオシムさんの指導を受けて、成長を感じましたか。
それまで僕のボランチのイメージはバランスをとる役割で、バランスをとりながら攻守に関わっていました。けど、オシムさんからは「なんでそこにいる必要があるんだ、相手が嫌がることをしろ」とずっと言われていました。「勇人が空けたスペースはほかの選手が守ればいいだろう」って。
リスクを冒してどんどんチャレンジしなさいと言ってくれたことで、自分は得点やアシストという結果を出すことができました。
―オシムさんの指導で勇人さんの中で変化が起きたんですね。
自分も当時のジェフもそうでしたが、プロサッカー選手だけど、監督が求めていることとかチームメイトが求めていることを「ただやる」。そういう集団でした。けど、オシムさんが求めているのは自分たちが考えて動くこと。考えてそれに対して責任を持つことでした。
練習も答えがなくて、オシムさんは「こうすればいい」とかあまり言いませんでした。よく分かっていない難しい練習をああでもないこうでもないと自分たちで考えながら、答えが見つからないまま週末の試合を迎えます。試合の中で練習と同じ現象が起きた時、「あ、あの練習はここにつながっているんだ!」と答えに気づくんです。
―オシムさんの独特のトレーニングにはほかの選手も影響を受けましたよね。
試合に出ていた選手はもちろん、出ていない選手も影響を受けていました。印象的なのはロッカールームで誰からもネガティブなことばが出なかったことです。長くサッカーを続けましたが、後にも先にもそんな監督はオシムさんだけでした。選手って自分が試合で使われないと監督に対して何かしらことばが出てしまうんですが、それがオシムさんに対してはなかった。
―少し大きな質問ですが、オシムさんは日本サッカーにどんな影響を与えたと思いますか。
いろんなことを残してくれたと思っていますが、一番驚いているのはオシムさんが日本を離れてからも、お亡くなりになってからも日本サッカーに大きな影響をもたらし続けてくれていることです。
「日本サッカーの日本化」という大きなメッセージが残り、それをいろんな人たちが考えている最中だと思いますが、その「考える」ということも含めてオシムさんは「日本化」という問いかけをくれたんじゃないかと思います。その問いに対してそれぞれが答えを考え、議論する。それが日本サッカーの発展につながっていく。そこまでオシムさんのイメージにあったんじゃないかと思います。
【やったことが返ってくるのが人生】
―ちなみに、勇人さんはサッカー以外でもオシムさんから教わったことはありますか。
実はオシムさんに会うまで、人生についてあまり深く考えたことがなかったんです。でも、オシムさんに出会って自分の人生を考えることも増えたし、何のためにサッカーしているのか、何のためにピッチに立っているのか、お客さんが何を求めているのかとか、いろいろ考えるようになりました。
引退して子供たちとふれあうことも多くなりましたが、サッカーのことだけじゃなくてその先の人生のことまで話すようになりましたね。
―人生そのものに影響を与えたんですね。
オシムさんに出会うまで僕はなんとなくサッカーをやっていたタイプで、なんとなくプロ生活を続けて、いつかクビになるんだろうなって思っていました。そんな僕が自分の人生に向き合うようになりました。
―印象に残っているオシムさんのことばは何ですか。
たくさんあるのですが、「やったことが返ってくるのが人生」ということばがすごく好きで、大事にしています。現役のころも引退してからも困難や思うようにいかないことはありますけど、やるべきことをしっかりやれば返ってくると思いながらやっています。
子どもたちに指導したり講演したりする時も、自分が尊敬する方にもらったことばを贈るねと「やったことが返ってくるのが人生」と最後に伝えています。
―今、オシムさんに伝えたいことはありますか。
いちばんは、「ありがとうございます」。
あとは、「早いよ、会いたいよ」。
これは甘えかもしれませんが、まだまだオシムさんから学びたいことはたくさんありますし、いろんなことばがほしいんですよ。
ただ、自分が学んだことをいろんな方に伝えていく責任が僕にはあります。オシムさんのことばの本質はこういうことをなんじゃないかと、自分自身で考えないといけないなと思います。
【遺してくれたものを伝えたい】
―勇人さん自身も伝える側になるということで、「JAPANIZE FOOTBALL」を立ち上げることへの思いを聞かせてください。
去年(2022年)、追悼試合をしましたが、オシムさんが遺してくれた問いかけを考える機会はその試合1回で終わらせたくないし、1回で終わるようなテーマじゃない。いろんな人が「日本サッカーの日本化」を考えて、オシムさんが遺してくれたものを伝えるのが大事だと思います。
なので、継続的に当時のメンバー、選手だけじゃなくて、スタッフやメディア、ファンやサポーター。日本中の人が議論して、オシムさんのことを知らない世代にも少しずつ伝えてつなげていく。そうすることが「日本化」につながっていくと思うので、それを実現したいです。
―「日本化」を考えるうえで佐藤さんが大事にしていることは何ですか。
自分が大事にしているのは「いいところをちょっとずつつまんでいく」こと。
例えばヨーロッパのサッカーのいい部分を少しつまむ一方で、日本に昔からあることも残していくとか。いろんなところをつまんでいきながら、最終的に日本ならではのサッカーにブラッシュアップしていくイメージです。
いろんなものを取り入れられる柔軟性を日本人は持っているんじゃないかと思います。
―柔軟性ですか?
例えばスペイン代表やバルセロナのポゼッションサッカーが素晴らしいから日本もそれを目指そうじゃなくて、いろんなところでいいものをつまんでいきながら、日本人ならこれはできるというものをつくっていく。それが自分の中では「日本化」じゃないかなと思います。
オシムさんは「コレクティブ」ということばを使っていました。日本人はそれができる集まりだと思うんです。
―この JAPANIZE FOOTBALL の活動への思い、参加してくださる方へのメッセージをお願いします。
僕自身はもちろんですが、オシムさんに関わった人たちはオシムさんのことを知らない世代にも学んだことを伝える責任があるのではないかと思います。自分ひとりでは決して成し遂げられないことなので、思いを持ったメンバーに加わってもらい、日本サッカーの未来のために力を貸していただきたいです。