オシムさんから学んだ「考える」こと「疑う」こと―羽生直剛
オシム監督のもと、ジェフユナイテッド市原・千葉や日本代表で活躍した羽生直剛さん(Ambition22 CEO)。豊富な運動量でピッチのいたるところに顔を出す「水を運ぶ人」として、オシムさんの「考えて走る」サッカーを体現した一人です。
日本サッカーの未来を考えるプロジェクト「JAPANIZE FOOTBALL」。羽生さんが考える「日本サッカーの日本化」のカギは「行間を読む」こと、そして「疑う」ことでした。
【責任感と柔軟性】
―オシムさんがジェフの監督になった当時、どんな印象でしたか。
当初は「素走り」と言われるただ走るトレーニングもしていました。ピッチの周りを走るグループとピッチの中でオシムさんとボールを使ったトレーニングをするグループに分かれて、時間がたったら入れ替わる練習です。
外周を走っている時に中のボールのトレーニングを見て気を抜いていると、オシムさんがすごい形相で怒って「もっとタイム上げさせろ」とフィジカルコーチに言っていた。全部見られている、逃げられないなという感覚が最初からすごくありました。
―思い出深い練習はありましたか。
「この選手からしかボールを取っちゃダメ」という練習があるんです。当時のジェフの守備がマンツーマンだったので、それとリンクさせていたのか練習でも1対1の勝負が多くて、永遠にグリッド(決められた範囲)の中を走り回っていましたね。
オシムさんの中には多分「責任感がないやつはサッカー選手になれない」という信念があって、まず責任感があるのかを見ていたのかなと今では思います。「羽生って下手だけど、走り回れて責任感はあるな。もう少し頑張れたら戦力になるな」とか見ていたとしたら面白いですよね。
あと、1対1から2対1、さらに2対2と、だんだん人が増えていく練習があります。
それまでの日本のサッカー教育だと、指導者が1対1をやりなさいと言ったら周りの人は後ろに並んで見ているものだと思うんです。
でも、オシムさんは「なんで入っていかないの?」と、もっと柔軟にアイディアを出して、どの角度、どのタイミングで入るかを自分たちで考えて、一番状態がいい選手が入っていけばいいんだと指導した。僕らが受けてきたサッカーの教育からはかけ離れていて、それが許されるのかとすごく衝撃的でした。
ただし、無理やり入ると「そういうことじゃない、それじゃごちゃごちゃになって崩せない」と、だから最後は「考えろ」。
オシムさんが求めていたことって、責任感を持って、アイディアを持って、自発的に動く。そういうことかなと思います。
―ちなみに、なかなか結果が出ない時、オシムさんは選手とどう向き合っていましたか。
自分の全力を出し切ったのなら、それでいいっていう人でした。
自分たち一人ひとりの中で、もっと上を目指そうとすることが大事なんだという感覚で、試合で勝っても不機嫌な日があれば、負けてしまっても「いいゲームだった」って言う時もありました。
その選手の今日の試合と、そこまでの今週の振る舞いが良いものであったなら、次に向かえる。後悔はないくらいに全力を積み重ねているなら、たとえ試合に負けたとしても「そういうこともある」と捉えている人でした。
【お祝いの花はもう枯れた】
ーオシムさんの指導を通して、チームが変わったと感じる瞬間はありましたか。
僕は必死だったので、この瞬間というのはわからないですね。オシムさんが来たシーズン、最初の3節はベンチ外だったので、この人にハマらなかったらシーズンが終わるという思いでした。とにかく監督が要求するものをやり続けるしかないという感じでやっていた中で第4節に(佐藤)勇人と一緒にスタメンで試合に出た。
それまでのジェフってJ2のチームや大学生と練習試合をしても取りこぼすようなクラブだったけど、以降は負けなくなって、すべての面でレベルが上がっていった感覚があります。
ーそうした中で印象深い試合はありますか? 2006年の浦和戦を挙げるOBもいますが。(2006年J1第11節 ジェフ千葉2-0浦和レッズ)
その試合はたまたま去年観直して、シンプルに「おもしろいな」と思いましたね。
オシムさんは「相手をリスペクトしすぎるな」と、基本的には相手としっかりやりあうという感じが強いんです。ずっと守ってカウンター勝負じゃ「人生と一緒で楽しくないだろう」という人なので。
で、いざ試合を改めて観たら、首位を走るチームに対して前半から圧力をかけにいっていて、客観的にすごいチーム作っているなと思うし、観ていた人もすごく面白かったと思います。でも、実は僕全然試合を振り返らないタイプで、そういえば浦和とやって勝ったなと思っていたくらいで、あまり覚えていないんです。
ー試合を振り返らないんですか。
オシムさんの言葉に、「もらったお祝いの花はもう枯れたんだ」という発言があるんです。
ナビスコカップで優勝して(当時の「Jリーグヤマザキナビスコカップ」、ジェフは2005年・2006年と連覇)、そのあとの試合で負けたのか、オシムさんが記者から「ナビスコカップの影響もあるんですかね」みたいな質問をされたんです。
それに対して、「ナビスコカップでもらったお祝いの花は枯れたんだから、次どうするかを考えるべきだ」ということを言った。
僕は今でもなんだかそういう感覚で、引退した今ではサッカー選手だったことはもちろんプラスだと思うけど、それは過去なんだと思う。これからを豊かなものにしていくために、次できることに向かう。それって実は大事なことで、「お祝いの花はもう枯れたんだ」というのは好きなことばですね。
【行間を読み、疑え】
ーオシムさんが日本サッカーに与えた影響をどう考えますか。
オシムさんは「日本人らしさ」ということを言いましたよね、でも・・・うーん・・・。
オシムさんは「日本サッカーの日本化」と言っていて、それは「日本人なりの」とか、「真似するのではなく」という感じだとは思うんですけど、「じゃあなんだ?」というと、その答えって誰も見つけられていない。
オシムさんが遺したものって深すぎて、受け取り側が今のままでは解釈しきれないと思う。解釈しようとしている人たちが結果を残すことによって、「ああ、そういうことを言っていたんだ」ってなるような気がしています。
オシムさんが「みんなで考えたらいいんじゃない?」と言ってくれているのかもしれませんね。
サッカーの練習でもそうでした。オシムさんは「正解」は言わない。「自分たちのアイディアを出して、ゴールをとるところから逆算しなさい」と言うんです。
コンビネーションの指導をしても、「これはひとつのサンプルで、もっと考えていいんだよ」、「君たちがもっと考えて、君たちなりのコンビネーションつくりなさい」という感じで最後は投げかけてくるんです。
ーでは、羽生さんが考える「日本サッカーの日本化」とは何ですか。
「行間を読む」ですね。
オシムさんは「行間を読め」とよくコメントしていました。当時はなんだろうと思っていたんですけど、目に見えているものでも疑わないといけないものがあるんじゃないか、という意味なんだと理解しています。
例えば、ボールを持っている人は褒められるけど、横をすり抜けていった選手がすごくいい働きをしているんじゃないのかとか、目に映るものだけじゃない行間を読みなさいと提示してくる人だったと思います。
そういえば、最後に会いに行った時、「今までの努力と失敗を疑え」ということばを書いてくれたんです。
オシムさんって「みんなこう言うけど本当にそうなのか?」って、疑うことが大切だと考えていたと思います。
ーそういったオシムさんの教えを受けて、羽生さんがJAPANIZE FOOTBALLの活動を通して実現したいことはありますか。
地道だけど、本質的にはオフザボールの動きが大事なんだよと伝えたいですね。サッカーを学んでいる子どもたちも親御さんも、目に見えるところを気にしすぎていると思います。
サッカーで1試合90分間のうち選手がボールに触れるのは1分か2分と言われています。すると88分はボールを持っていないわけですが、オシムさんはそこを捉えている人だった。
だからこそ「考えて走れ」と、オフザボールのことを言っていました。
あと、もちろん子供たちはサッカー選手になりたくて、親御さんもそう願うのだけど、ゴールが「サッカー選手になること」だと誰も幸せになれないと思うんです。子供がサッカー選手になれなかった時、親御さんまで「うちの子の人生は終わりだ」と思ってしまったら残念じゃないですか。
「サッカーに全力で取り組んでここまで来たのなら大丈夫」って言ってくれる親御さんが増えてほしい。
プロになったサッカー選手のセカンドキャリアの問題でも同じで、サッカー選手じゃなくなったら終わりみたいな考えがある。
オシムさんは人生を捉えていた人だと思うので、サッカーでもほかのスポーツでも同じで、スポーツをする価値ってここにあるよねと目に見えにくい部分にフォーカスできたらいいなと思います。