「いつかはオシムさんのように」世界で闘ったストライカーが目指す指導者像―要田勇一
J1、J2、JFLに地域リーグ、さらに南米パラグアイと、15年間の現役生活の中であらゆる場所でプレーしたストライカー、要田勇一さん。パラグアイから帰国しプレーの場を求めた時、その機会を与えたのが故 イビチャ・オシム監督でした。そして、自身のキャリアで初めてJ1でのゴールを挙げました。
今は横浜FCでジュニア世代を指導する要田さんか考える「日本サッカーの日本化」について聞きました。
【体よりも頭が疲れた】
―さっそくですが、要田さんのキャリアの中でオシムさんはどんな存在ですか。
僕をまたJリーグに戻してくれた方です。感謝しかないです。
いつかはオシムさんのような偉大な指導者になりたいという憧れを持ちながら、もがいてもがいて成長したいと思っています。
―「Jリーグに戻してくれた」ということですが、オシムさんに初めて会った時の印象はいかがでしたか。
海外から戻って所属チームを探している時、ジェフユナイテッド市原(現 市原・千葉)の練習に参加する機会をもらい、初めてお会いしました。「大きい!」というのが第一印象で、見上げるような感じで話をしましたね。
―初めてのオシムさんの練習はいかがでしたか。
体が疲れるというよりも、頭が疲れました。
今まで色んなチームでサッカーをやってきたけど、何かが違うなと。すごく考えさせられた印象があります。
要田勇一さん
横浜FC U-12ヘッドコーチとして、育成年代を指導する。現役時代はフォワードでJFLやJ2のころの横浜FCでプレーしたほか、地域リーグのチームにも所属。南米パラグアイでもプレーし帰国した後、ジェフのオシム監督の目に留まり契約。スーパーサブとして起用され、キャリアにおいて初めてJ1でのゴールも記録した。
【エレガントに走れ】
―オシムさんからかけられた、印象的な言葉はありますか。
練習では常に、「エレガントに走れ」と言われました。
ドタバタ走るなと。エレガントに走るということは味方の位置、相手の位置、どこにスペースあるか見極めたうえで走ることだと言われた記憶があります。
それまではフォワードとして、考えるというより感覚とか嗅覚といった天性のものを頼りに動いていたので、最初は難しかったです。すぐにうまくはいかなかったけど、徐々に周りの選手とコミュニケーションがとれて、少しずつフィットしていったと思います。
―周りの状況、例えば味方の動きを見てどんなふうに動くようになったんですか。
当時は羽生(直剛)選手や(佐藤)勇人選手が中盤にいて、自分は巻(誠一郎)選手とフォワードを組むことが多かったです。みんな巻選手をねらってパスを出すので、その周りでこぼれ球をねらうとか、巻選手が競った後に自分が入っていくことは常に意識しました。
―結果にもつながりましたか?
練習生を経て契約して、すぐにベンチ入りのチャンスをもらい、その試合でゴールをとることができました。練習の時から味方や相手の動きを見ながらプレーしていたので、実戦でもゴール前で味方がくれたボールにしっかり反応してフィニッシュできたんです。練習でやったことがそのまま出たと実感しました。
あと、常に勝利のメンタリティというか勝ち癖をつけろと言われていたので、練習試合や紅白戦から勝利にこだわりながらやってきたことも活きたと思います。
―オシム監督時代に思い出に残っている試合はありますか。
アルビレックス新潟とのホームでの試合(2005年J1第15節 千葉 3-2 新潟)ですね。それまで(当時のホームスタジアムの)市原臨海競技場で新潟には負けていないというジンクスがある中で、試合途中から投入されて決勝点をとることができました。
現役時代を過ごした 旧市原臨海競技場のロッカールームにて
オシムさんはふだんは選手を直接はほとんどほめないんですけど、その時は親指を立てて「グッド」というサインを出してくれて、嬉しかったです。
ほめてもらえるのは特別でした。めったにないんですけど、オシムさんは望んだプレーが出ると「ブラボー」と言ってくれることがあって、練習中でもそれを出させたプレーをした選手がいたら「きょうはブラボー出たな」なんて話すこともありましたね。
【日本化のカギは「俊敏性」】
―JAPANIZE FOOTBALLプロジェクトでは、「日本サッカーの日本化」を皆さんと一緒に考えています。海外でもプレーした要田さんは、日本と海外の違いをどう捉えていますか。
海外の選手は体が大きく、フィジカルが強い印象があります。僕もどうしたらいいかと悩んだ時期がありました。けど簡単な話で、ボールを長く持たなければいいんです。
体をぶつけるのではなく、ボールを動かす。ワンツーでスペースで受けるということを海外ではやるようにしていました。その結果、ゴール前に走りこんでボールをもらってゴールもできました。
日本でも昔に比べると体も大きい選手が出てきていますが、変わらず俊敏性、素早い動きが得意だと思います。ボールをどんどん動かしながら、スペースをうまく使う。それをチームで共有しながらやっていければ、もっと上に行けるのではないかと考えています。
―オシムさんも「俊敏性」を日本人の特長として挙げていましたが、海外と比べても日本のほうが速かったですか?
僕も海外で「スピードがある」と言われていました。なので、フォワードやサイドハーフといった、前のほうのポジションで使われることが多かったです。日本人はちょこまかとゴール前ですばしっこく動く印象があるみたいです。
―皆さんに伺っていますが、要田さんにとって「日本サッカーの日本化」とは何ですか?色紙に書いてください。
「走る」。
オシムさんからよく言われていた、「走る」と書かせていただきました。日本の特長である俊敏性を活かすためには走ることです。走ってスペースをうまく使う。必ずしも相手と対峙しなくてもボールを動かすことでゴールに前進していけると思っています。
―ちなみに、様々なご経験をされたうえで、今日本サッカーに課題があるとすれば、どんなところだと思いますか。
僕も指導者として学んでいる最中なので偉そうなことは言えませんが、足りないところは何かと問われたら「ストライカー」。ストイックで我が強い、典型的なストライカーが出てきてもいいんじゃないかと思っています。
―指導者として対策していることや、取り組んでいることはありますか?
今って、子どもたちはスペインのサッカーを見ることが多くて、ゴール前でもシュート打たずにパスで終わる選手がたくさんいるんです。でも、子どもたちには口癖のように、「まずゴールに向かって足を振る」「シュートを決めることを意識してほしい」と言ってトレーニングしています。どんなきれいなパスを20本30本回しても、点になりませんから。
最後の選択はボールを持っている選手自身が考えるべきなので細かく言いませんが、練習中にプレーをいったん止めて、「まずどこを目指そうか」という質問をしながら、「まずゴール、攻撃ではゴールを取りに行くこと」と伝えています。
【子どもたちが自分で考え、表現できるように】
―指導者でもある要田さんにとって、振り返るとオシムさんはどんな指導者でしたか。
ヨーロッパや、南米の監督・コーチのもとで選手としてプレーしましたが、南米の方はゲームや単純な練習をよくされる印象があります。ヨーロッパの監督はすごくよく考える方が多くて、特にオシムさんは頭を使わせる。やっぱり、すごく考えさせられたと思います。
―ご自身の指導にも影響したところはありますか。
自分自身もベンチからプレーすることがありましたが、子どもたちを教える時も、試合に出ている選手だけでなく出ていない選手のことも見て、その子たちをしっかり育てていきたいと思っています。
JAPANIZE FOOTBALL キックオフイベントで子どもたちを指導
あと、子どもたちにアドバイスはしますが、最後は子どもたちが自分で考えて、ピッチの上で表現できるようにと指導しています。
―サッカーのこと以外で、オシムさんからかけられた印象的な言葉はありますか。
「サッカーができるのはいつまでだ、家族を大事にしろ。最後は家族と仲良く、いつまでも幸せにしろ」と言ってもらったことです。
僕も指導者をしながら休みはとって、奥さんと息子のサッカーの試合を見に行ったりしています。男の子が2人いますが、2人ともサッカーしているので、頑張っていつかは自分を抜いてもらいたいですね。
―オシムさんが亡くなって1年が経ちました。伝えたい言葉はありますか。
「オシムさんみたいな指導者になるにはどうしたらいいですか?」って、すごく聞きたかったです。
でも、オシムさんに「自分を信じて、自分が思ったことをやり続ければいい」と言われたことがあるので、指導者としてまだまだですが、僕なりにオシムさんに教わったこと、感じたことを子どもたちに伝えていきたいと思っています。
「指導者として頑張っています」と伝えたいです。