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「そのままの自分でいてほしい」 大切なのは“変わらない”こと アマル・オシム × 佐藤勇人

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2023/11/25 11:00

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イビチャ・オシムを誰よりも近くで見てきた人がいます。指導者と選手という関係で、監督とコーチという関係で、そして父と息子という関係で。

 

2023年6月、父であるイビチャ・オシムのモニュメントがジェフ千葉のホームスタジアムで披露されるのにあわせて、アマル・オシムさんが15年ぶりに日本を訪れました。

 

この貴重な機会をJAPANIZE FOOTBALLプロジェクトに活かすべく、発起人の佐藤勇人さんが直接、アマルさんにインタビューしました。

 

海外の指導者から見た日本サッカーとは? 「日本サッカーの日本化」へのヒントは? 父としてのイビチャ・オシムとは?

 

 

【 “オシムの次” は迷わず引き受けた】

 

佐藤勇人)

このプロジェクトはオシムさんが日本代表の監督に就任する会見で伝えた、「日本サッカーの日本化」というメッセージを自分たちで考えて、アクションにつなげていきたいとスタートしました。 

 

きょうはアマルさんが感じた日本サッカーのことを聞かせてください。

 

 

さっそくですが、日本であのタイミングでジェフの監督を引き継いだことは難しい経験でしたか。

 

アマル・オシム)

それは難しかったですよ。

 

イビチャ・オシムのあとに監督になったのですから。

 

みんなが「前の監督のほうが良かった」と思っているように感じました。

 

 

アマル・オシムさん

母国 ボスニア・ヘルツェゴビナのプロサッカーチーム「ジェリェズニチャル・サラエヴォ」などでプレーした後、監督としても同チームを率いて複数回の優勝を果たす。父イビチャ・オシムさんがジェフユナイテッド市原(現 市原・千葉)の監督に就任した後、ジェフのコーチとして来日。2006年、イビチャ・オシムさんが日本代表監督に急遽就任したことを受けて、ジェフの後任の監督に就く。2シーズン率いて、当時のJリーグヤマザキナビスコカップ(現 YBCルヴァンカップ)で優勝。

 

父が代表監督になった瞬間に、クラブの評価や外からの見られ方が変わりました。

 

父と一緒に日本代表になった選手が4~5人いて、そういう選手が代表でプレーして自信を持って帰ってくる。すると監督に対する要求も違うし、ファンもジェフというチームが1ランク上がったという見方をするし、対戦相手も違う向き合い方をしてきました。

 

難しいところもありましたけど、最終的には代表になった選手たちの能力が高まったこともあって、チームとしていい結果を出すことができました。

 

勇人)

今回、アマルさんが久しぶりに来日するということで、事前にファンの方からもアマルさんに聞きたいことを募集しました。「イビチャ・オシムさんから引き継いで監督になることに迷いはなかったのですか」という質問をもらっています。いかがですか?

 

アマル)

自分としては話が来たら受けると決めていましたよ。

 

父は毎年1年契約だったし、シーズンが終わって地元に帰ったら、再び日本に戻ってくるかは誰も分かりませんでした。

 

父自身も、代表監督のオファーがなかったとしてもジェフでの監督を続けるのはあと2年間くらいかというところがあったようで、そしたら自分が監督に就くかもしれないとなんとなく感じていました。

 

 

(コーチとして)何年かみんなを指導していたから選手の特性もわかっているし、父のやり方は特別だったけど分かってはいたから、迷いなく引き受けました。

 

勇人)

そうなんですね。迷いはなかったんですね。

 

 

【ディシプリン、ハードワーク、アジリティ、テクニック・・・日本サッカーのいいところはたくさんある】

 

勇人)

日本サッカーと関わってきたアマルさんから見て、日本サッカーの強みや日本の選手の素晴らしさはどんなところですか。

 

アマル)

いいところはたくさんあります。

 

ディシプリン(規律)は最も大事なことですが、ヨーロッパでこれを忠実に守っているチームはもうあまり見られません。日本の選手たちはコーチをしっかり信頼して、指示を忠実に聞く傾向があります。それは日本の良いところではないでしょうか。

 

ハードワークするのも良いところですね。しかも、単に監督やコーチに言われてハードワークしているのではなくて、自らハードワークしようという意識があります。

 

勇人)

たしかに、そうですね。

 

アマル)

あとは、(日本の選手は)必ずしも体が大きかったり強かったりするわけではありませんが、フィジカルの“質”は高いと思っています。

 

世界の相手と戦う時、体は大きくないけどアジリティ(敏捷性)があって、ただ走るだけではなくて「走りきる」ことができるので、日本のチームは世界で評価されつつあります。

 

それに、日本の選手たちは技術的にも評価されていますよ。

 

もちろんトップ選手は別ですが海外では利き足ではない足も使えるという選手はあまりいないのですが、日本では平均的に右足も左足も使えます。

 

 

いま挙げただけでも、かなりのアドバンテージがあると思います。

 

私が監督の時も、父が監督をしているころも、そこにフォーカスしていました。

 

勇人)

ディシプリン(規律)は、オシムさんからもすごく言われていましたね。

 

あと、オシムさんからはコレクティブ(集団的)ということも言われていました。それも日本サッカーの強みになっていますか。

 

アマル)

もちろんそうです。

 

日本社会も組織立って動くし、日本人の国民性がサッカーにも反映されているはずです。

 

一方で、組織の中に隠れてしまうことは日本の選手の良くないところかもしれませんね。

 

ただ、最近は自信を持って自らのいいところを出す選手が出てきていることが、日本サッカーの躍進の要因の一つになっていると思います。

 

ヨーロッパでのプレーを経験した選手が影響していているのかもしれませんが、自信を持ってプレーできる選手が出てきています。

 

父が実現したかったはずのことです。

 

勇人)

なるほど。

 

日本の教育そのものの影響もあるのかもしれませんが、日本では組織からはみ出るようなことがネガティブに捉えられがちです。

 

アマルさんは日本でもヨーロッパでもチームの指揮を執った経験の中で、組織と個人の関係の違いをどう感じますか。

 

 

海外だと個人が組織からはみ出ることも尊重されるのでしょうか?

 

アマル)

いい質問ですね。

 

良い指導者なら、組織からはみ出るような(個性の強い)選手を活用していいチームを作れるということだと思います。

 

そういう選手はほかの選手が持っていない特別なものを持っていることが多いのですが、その選手のいい部分を引き出すために特別扱いするとほかの選手がよく思わないので、バランスをとりながら組織をマネジメントするのがいい監督だと思います。

 

私が率いたチームは優勝しましたが、そこまでできていたのかは分かりませんね。

 

 

【今までどおりでいい、自信を持ってほしい】

 

勇人)

JAPANIZE FOOTBALLでは、ことしオシムさんの一周忌にあわせて、市原市のスタジアムに子どもたちと指導者を約100人集めて、OBの選手たちが教えるサッカークリニックを開催しました。

 

当日の様子はこちらの記事で↓

「日本サッカーの日本化」に向けて JAPANIZE FOOTBALL キックオフイベント開催

 

そこではサッカーを教えるだけではなくて、終わったあとに学びの時間、実際にやってみてどうだったか子どもたちや指導者が語り合う時間をつくりました。

 

練習を通して見つけた気づきを参加者どうしで共有した

 

「言葉にして伝える」というのは日本人が少し苦手なことなんですが、こういう活動を日本の中で広げていきたいと思っています。

 

JAPANIZE FOOTBALLの活動に、アマルさんからアドバイスをいただきたいです。

 

アマル)

まず、私が日本を離れていた15年間で日本の指導者のレベルは上がっているように思います。

 

(Jリーグに)外国人の指導者が減っているように思うし、日本のクラブが自分たちの国の指導者を信じるようになっているので、それは良いことだと思います。

 

まず日本人のメンタリティは歴史の中で、生活の中で培われるものなので、サッカーの中だけでメンタリティを変えるのは難しいです。すぐに変えられるものじゃない。

 

勇人)

大人が率先して変わっていかないといけないですね。

 

アマル)

うーん・・・変える必要がありますか?

 

 

私は社会が自然に変わっていくのに合わせればいいのではないかと思います。

 

そもそも、日本は世界のほかのどの国とも違って、それはすごくいいことだと思っています。

 

けど、15年ぶりに日本に来てみて、例えば英語を喋れる人が増えたなとか変化も感じます。

 

勇人)

日本人がもっと日本のことを知るのがスタートになるのかもしれませんね。

 

アマル)

もちろん、そうです。

 

自分たちがだめだとか恥じるのではなくて、もっと自信を持つべきです。

 

アドバンテージ、いいところはたくさんあるので、もっと自信にしていいと思います。

 

勇人)

「日本サッカーの日本化」のために大事なことを一言だけ、この色紙に書いてください。

 

アマル)

そんなの、本が書けるくらい長くなりますよ。

 

 

「Don’t try to change at any price. Stay like you already are!」

=「決して変わろうとしないでください。そのままの自分でいてください!」

 

とにかく自分らしく、自分自身を何があっても守ってほしい、大事にしてほしいです。

 

 

【父としてのイビチャ・オシム】

 

勇人)

少しサッカーから離れたことも聞かせてください。

 

ファンからこんな質問をもらいました。

 

「アマルさんから見て、父親としてのイビチャ・オシムさんはどんな人でしたか」

 

アマル)

自分が子どもの時はハッピーではなかったですね。

 

子どもだったら、自分が何をしても親がかばってくれるという感覚があると思いますが、私たち兄弟はかばってもらったことがなかった。

 

例えば間違いを起こしたら、「だめなことはだめだ」と厳しいことを言われて、それが不満でしたね。

 

ある時、自分のやりたいことが認めてもらえなくて大騒ぎしたら、風呂場に連れて行かれてひどく怒られたこともありましたね。

 

勇人)

あのオシムさんが、アマルさんを・・・想像するだけで・・・すごいですね。

 

オシムさんのモニュメントとアマルさん

 

アマル)

ほかにも、15歳のころ、ユースのチームでプレーしていましたが、父が監督でした。

 

自分の父親がすごい人だったから、私は調子に乗っていました。

 

紅白戦があり、私はケガ明けであまり走れないという状況だったのですが、チームメートに「なんでいいパスを出さないんだ」とか「下手くそ」とか暴言を吐きまくったんです。

 

すると、実は父が陰で見ていたらしくて、それに気づかずにそんな調子でいたら、ある時点で父がピッチに入ってきたんです。

 

勇人)

えっ。

 

アマル)

そうとう我慢していたみたいで、「何やってんだ!」という感じで怒っていました。そこから3週間、練習に参加させてもらえませんでした。

 

ただね、私にも子どもが生まれてから、そういった父の振る舞いは(子どもにとって)いいことだったんだと気づきましたよ。

 

勇人)

父としてのオシムさんのお話まで聞いてしまいましたが、最後にひとつだけ質問させてください。

 

アマルさんがこれからの人生で成し遂げたいものは何ですか?

 

アマル)

具体的ではないのですが、父に尊敬してもらえるような何かを達成したい。

 

私は父のおかげでいい生活をさせてもらったと思います。

 

父を見習いたいんです。

 

15年ぶりに再会した二人 インタビューはジェフ千葉のクラブハウスをお借りして実施しました

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