
「世界を広げてくれた人」オシムさんとの出会いで開けたキャリア 中島浩司×間瀬秀一
ジェフ千葉やサンフレッチェ広島で複数のタイトルを獲得した中島浩司さん。所属するチームが決まらず苦しんだこともありましたが、オシム監督の教えで「世界が広がり」、18年間の長いキャリアを築くことにつながりました。オシム監督の当時の通訳、間瀬秀一さんとの対談です。
【世界を広げてくれた人】
間瀬)
さっそくだけど、オシムさんって浩司にとってどんな存在だった?
中島)
世界を変えてくれた、広げてくれた人です。
ただ歩いて連れ行ってくれたんじゃなくて、完全に一つ段階が違うところに連れて行ってくれた人でした。
まるで「車」のような、遠くに行けるんですけど目的地が決まっているわけではなく、自由度があったというか。
今日どんなことがあるだろう、何を言われるだろうって刺激的で、ほんとうに楽しくてしかたなかったです。
間瀬)
あのころ、みんな楽しみにしていたよね、通訳する俺は毎日苦しかったけど(笑)
【オシム監督の“迫力”】
間瀬)
浩司がジェフに所属したのってオシムさんが来た2003年からだったんだね。
俺も、その年から通訳として来たから、ジェフ同期だね。
中島)
同期ですね。

中島浩司さん
ベアフット役員、サッカー解説者。ベガルタ仙台でプレー後、オシム監督が就任した2003年にジェフユナイテッド市原(現 市原・千葉)に移籍。中盤に加えてリベロなど幅広いポジションで活躍し、2009年から所属したサンフレッチェ広島ではリーグ制覇にも貢献し、2013年に現役を引退。現在は広島を拠点に活動。
中島)
ジェフに来た時、監督が誰か知らないで契約したんですよ。
2002年にベガルタ仙台を戦力外になって、トライアウトに参加して、そのあといろんなチームの練習にも参加したけど、契約は決まらなくて。
そしたら、その年の大晦日、12月31日にジェフから話をもらったので、ぜひお願いしますって伝えたんです。
でも、「そのかわり、監督まだ決まってないんだけれど、いいか?」って言われて、監督が誰か分からない状態で来ました。
間瀬)
そうだったのか!
じゃあ、シーズン前のキャンプでいきなりオシムさんに会ったわけだけど、第一印象ってどうだった?
中島)
子どものころに強い印象を受けた90年代のユーゴスラビア代表を率いていた監督が来たというのは衝撃的でしたね。
ただならぬ雰囲気というかオーラがありました。
間瀬)
うん、そうだよね。
中島)
プロになってから監督に気押される体験ってなかったんですけど、ものすごい迫力の監督だというのが第一印象ですね。
間瀬)
眼光が鋭かったよな。
オシムさんの指導ってどう感じた?
中島)
僕自身が前の所属では試合にも絡めず戦力外になったので、まずは一生懸命ついていくので頭がいっぱい。
練習内容がきついとかよりも、とにかく這い上がらなきゃいけないって必死でした。
間瀬)
そこから浩司はオシムさんがいた期間ずっとジェフに所属して、クラブから必要な選手として認められたよね。
オシムさん時代、プレーしていた中で印象的なことはあった?

ジェフ時代オシムさんの通訳務めた 間瀬秀一さん
中島)
レアルマドリードとの親善試合の時ですね。
前半、ジェフの外国籍選手が股抜きとか、ちょっと遊びを入れるようなプレーをしていたら、オシムさんがハーフタイムに激昂して、すぐ交代させた。
世界一のスーパースター軍団相手に対しても、ピッチに立ったら本気で全力で勝ちに行ったんですよ。
あと、その時、ジダンとオシムさんが喋っているのを見たんですけど、オシムさんの前でジダンが気を付けして話を聞いているのを見た時に、やっぱりすごい人なんだなって、印象に残っていますね。
【速く走れなくても“速いプレー”はできる】
間瀬)
浩司とオシムさんとのエピソードで覚えていることはある?
中島)
めちゃめちゃありますね。オシムさんと出会って世界観が本当に変わりました。
指導者って自分のねらいだったり、やってほしいことに沿ったプレーをするとほめる傾向があるんです。
でも、オシムさんはそうではなくて、想像を上回ることとか、新しいものを生み出すとすごくほめてくれる人でした。
逆に、オシムさんが言った通りのことをやると怒られたりする。
間瀬)
たしかに。
中島)
自分自身、そもそもあまのじゃくな部分があったんで、「これをやりなさい」って与えられると、むしろそうじゃないこともして評価してもらいたいって気持ちがあったんです。
ただ、チームでものすごく抜きんでていないと認めてもらえないことなので、葛藤も感じてプレーしてきました。
それが、オシムさんはむしろすごくほめてくれて、自分のやり方とか考え方が間違ってなかったのかなって初めて感じられて、世界がパッと明るくなった感覚はありましたね。
間瀬)
実際に指導者をしている身としては、グッとくるエピソードだね。
指導者って選手にこうやってもらいたいって思いがあるものだけど、確かにオシムさんって一人ひとりの違いをしっかり認めてくれて、その力を発揮させる人だったなって思う。
浩司って体の線は細いほうで、フィジカル系の選手じゃなかったけど、ジェフ時代も、そのあとのサンフレッチェ広島に移っても大活躍したじゃない。
プレーヤーとしてオシムさんから授かったものって大きかった?
中島)
その時、間瀬さんに通訳してもらったのですが、オシムさんに、自分はどうやったら今後サッカー選手として生き残っていけるのか、何を伸ばしたらいいのかアドバイスをもらいにいったことがあるんです。
そしたら、「浩司は速く走れるわけではないけど、“速いプレー”はできるよ」って言ってもらった。
今までは「素早く動けとか、もっとキビキビできないのか」みたいなことをすごく言われてきたんです。
間瀬)
うん。
中島)
でも、アイデアを事前にたくさん用意するとか、視野の確保、ポジショニング、ボールを正確にコントロールしたり、正しい判断をしたりすれば、自分が速く動かなくても、速いプレーができるということを言われた。
大人になってからどれだけ走る練習しても、そんなに急激に伸びるわけじゃないですけど、今言ったようなことって、日頃の積み重ねとか意識の持ち方とか、いろんなアプローチの仕方によって変えられる部分だって思ったんです。
だから、どうしたら速くいいジャッジができるかなと考えるようになって、これまで行き詰まっていたところの先が開けたというか、違うやり方でまた変われるんだ、伸びるんだと思えた。
だから、本当に楽しさが増しましたよ。考え方、視点が変わったことで、すごく前向きになれた感じはありました。

間瀬)
なるほど。
今でも浩司のプレーを思い出せるけど、ボールを失わないイメージがすごくあって、後ろから引き出したボールを失わずに前につなげる。
360度を把握して、すぐ近くに相手がいても焦らない、怖がらない印象があるけど、オシムさんからの影響だったんだな。
中島)
あとは、失敗に対してはそんなに怒らない人だったじゃないですか。
気が抜けているとか集中してないとかだったら怒られますけど、意図があったりねらいがあることに対してはそんなに厳しく言われないんで、オシムさんに対して迫力は感じていましたけど、怖くはなかったです。
むしろ、ちょっと意表をつくこととか、思い切ったことをやってオシムさんにほめられたい気持ちがあったので、思い切ったプレーを引き出してもらえたと思います。
【オシムさんとの幸運な出会い】
間瀬)
JFLのヴィアティン三重の監督をしている時、天皇杯でJ1のガンバ大阪と試合をした。
今までやってきたことを思いっきりぶつけて先制したんだけど、その後すぐに2点取られて、結局2 対1で負けた。
その時感じたことで、JFLとJ1の選手の差ってもっと体の強さとか足の速さとか技術とかそういうことだと思ったんだけど、試合を実施にやってみたら差が歴然とついたのは“頭”だったんだよ。
中島)
頭ですか?
間瀬)
判断・反応のスピード。ガンバの選手は局面が変わった瞬間にすっと体動いていたけど、こっちのチームは一拍あってから動き出すみたいな感じがして。
この差は頭の中の差だったんだと思った。
地域リーグやJFLの選手を指導する時、チームが早く強くなるから、どうしても原理とか戦術の決め事を中心に指導してしまう。
でも、頭の中に差があったっていうのに気づいて、急に多色ビブスを引っ張り出して、オシムさん流のトレーニングを始めたら、めちゃくちゃチームが良くなった。
中島)
なるほど。
きっと体を鍛えるとかはずっとやってきた選手たちだったと思うんですけど、違ったアプローチの練習を入れて、目に見える変化がでたんですね。
プレーの切り替わりへの意識はオシムさんから口酸っぱく言われましたよね。
キーパーがボール出そうとしたのに周りが動き出していなくてボール出すのをやめた時、オシムさんが「準備していないほうが悪いんだから、いいから早く投げろ」みたいなこと言っていたの覚えています。
間瀬)
うん。
中島)
あのころのジェフって、動きがよくつながったプレーができていたと思うんですけど、練習から切り替えを意識づけるアプローチばかりやっていたからなんでしょうね。
それを経験しているんで、どのチームに行っても楽でしたよ。
頭のスイッチがずっとつながっていて、次のこと、次のことって先に考えるのが習慣になっているので、例えば自分が動かなくてもほかの選手に指示を出して、その先で準備をしておこうみたいな判断ができた。
多色ビブスの練習でも、強制的に先回りして考えることが身についたなって思います。
間瀬)
すごいよね。よくそこまで行けたなと思う。
中島)
習慣だと思いますよ。
ルールで強制して、そういった考え方をしないとうまくいかなくて、考えてやって成功すると自然に身についていく。
頭のところを鍛えてひらめくようになって、結果的に自分に余裕ができると、サッカーの成績も変わる感覚がありましたね。
間瀬)
そうだね。ねらいを習慣化していく感覚を自分たちが持てているのは財産だね。
中島)
オシムさんとの出会いは本当にラッキーだったというか、出会えていなかったら僕なんかその後のキャリアが存在しなかっただろうって思います。
間瀬)
そうだよな、俺もオシムさんの通訳やってなかったら、絶対に監督やってないからね。
中島)
やっぱりそうですね、もっとサッカーを好きになりましたね。
間瀬)
なんだか、サッカーの重みが増したような感じがするよね。
中島)
今思うのは、僕らはそのオシムさんに直接触れられたわけじゃないですか。
それってすごく財産で、自分だけで留めておくっていうよりは、人に伝えたり、広めて、生かすことで、サッカーを通してちょっと人生が開けるような人を増やすのが恩返しなのかなと思います。

